JRA武豊「必ず見返してやる」挫折から始まった凱旋門賞(G1)激闘史! 「今でも悔しさで目が覚める」ディープインパクトよりも世界の頂点に迫った「19年前」の記憶

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 10月4日、フランスのパリロンシャン競馬場では、日本でも馬券が発売される凱旋門賞(G1)が行われる。3連覇を懸けた昨年のこのレースを2着に敗れるも現役続行で史上初の3勝目を狙う女王エネイブル、この偉業に待ったをかけたい英G1を3連勝中のラブの二強対決の下馬評となっている。

 

 そして何といっても武豊騎手が昨年の凱旋門賞4着馬ジャパンとのコンビで参戦することも、今年の世界最高峰のレースを盛り上がりに拍車をかけてくれそうだ。



 競馬界のレジェンドといわれる名手・武豊を以てしても挑戦するのが目標であり、勝つのが夢と公言しているように、騎手人生を懸けたライフワークとなっているのが凱旋門賞である。

 

 武豊騎手はジャパンの騎乗依頼をもらったことに対し、「心待ちにしていた」、帰国後に2週間の自宅待機があるとしても、「それほどの夢が凱旋門賞には詰まっている」と自身の公式サイトで報告。ただでさえ今年はコロナ禍といわれる状況下、3年連続9度目の挑戦が決まったことは大きな喜びだったに違いない。

 

 振り返れば武豊凱旋門賞挑戦はこれまで8回を数える。

 

 初挑戦は3番人気ホワイトマズルとのコンビで6着に敗れた26年前だ。同馬と初コンビでキングジョージVI&QEDS(G1)を2着、次走J.リード騎手の手綱でドーヴィル大賞(G2)を勝利して、凱旋門賞武豊騎手に戻っての参戦。優勝候補の呼び声も高かった有力馬で敗れたことに対し、欧州のメディアは日本を代表する騎手を『経験不足』と酷評した。

 

 当時、日本で数々の記録を塗り替え、天才の名を欲しいままにしていた武豊騎手にとってもほろ苦い記憶となっただろう。

 

「日本で実績を残しても、競馬先進国の人たちからすれば、大したことないと思われたわけです。でも、それが発奮材料になって、必ず見返してやると心に誓った。以来、毎年のように海外遠征し、しっかりと結果を出してきました」とは、後に平松さとし氏が明かした武豊騎手の談話だ。

 

 その一方で、2度目の騎乗となった2001年のサガシティで3着に入り、武豊騎手の凱旋門賞勝利の夢はそう遠くないとも思われた。それは史上2頭目となる無敗三冠馬ディープインパクトとの出会いがあったからに他ならない。3度目の挑戦となった2006年、勝利を渇望する武豊騎手にとって最大のチャンスが訪れたといっても過言ではないだろう。

 

 日本が誇る最強馬の挑戦に回避馬が続出し、ついに悲願達成かと思われた。だが、勝利を焦ったこともあったのか、このときレース中継の解説をしていた元騎手の岡部幸雄氏の「まだまだ」という声もむなしく、武豊騎手はワンテンポ早めの仕掛け。国内で見せて来た末脚の伸びを欠いた結果、後方から伸びて来たレイルリンク、プライドの後塵を拝する3着に終わった。

 

 ディープインパクトにとってはハーツクライに敗れた3歳の有馬記念(G1)に続いてこれが2度目の敗戦。これに追い打ちを掛けるようにレース後、フランスギャロがディープインパクトの体内から禁止薬物イプラトロピウムが検出されたと発表。最終的に3位入線からの失格という処分が下された。



「世界で一番強い」と信じたパートナーと挑みながらも予想外の結末を迎えたことに「今でもあの敗戦の悔しさで目が覚めることがあります」と、後に武豊騎手は述懐している。

 

 以降も2008年メイショウサムソン10着、10年ヴィクトワールピサ7着、13年ディープインパクトの仔キズナ4着、18年クリンチャー17着、19年ソフトライト6着と武豊騎手の凱旋門賞制覇への挑戦は続いている。



 そしてジャパンをパートナーに迎えて9度目となる今年も勿論、挑戦だけで終わらせるつもりはない。

 

「血統的にもジャパンは3着に入ったサガシティの甥にあたる血統なんです。欧州の馬なのに由来は佐賀市、甥っ子は日本を意味するジャパンと来れば何かの縁でしょうか。

 

エネイブルとラブは強敵ですが、ジャパンにはサガシティと武豊騎手の最高着順更新の期待もかかっていますね」(競馬記者)

 

 ジャパンを管理するA.オブライエン師を武豊騎手も「馬の状態に納得がいかないときは絶対にゴーサインを出さない人なので、逆に言えばそれが出たときは好調モードに入ったということです」と信じている。

 

 騎乗するのは昨年の凱旋門賞4着馬。一時は「来年の欧州のエースになるのではないか」と言われていたほどだ。近走は不振が目立っているが、元々のポテンシャルを考えると、状態さえ戻っていれば、チャンスは十分にありそうだ。