JRAディープインパクト、オルフェーヴル、エルコンドルパサー……日本馬の「凱旋門賞」全挑戦史
スプリンターズステークスが行われる今週日曜日、フランスのパリ・ロンシャン競馬場では第99回凱旋門賞が行われる。今年はコロナ禍で無観客開催が決まっており、しかも総賞金も従来の500万ユーロ(日本円で約6億1500万円)から4割減額されるという。
それでも、ちょうど100年前の1920年から始まった世界でも歴史と権威を誇るレースであることに違いはない。
今年は、昨年に史上初の3連覇を逃したエネイブルを筆頭に、G1レース3連勝中のラブなど海外の強豪が出走。日本からは海外遠征中のディアドラが出走するが、先日素晴らしいニュースが届いた。日本のトップジョッキーである武豊騎手が、アイルランド調教馬ジャパン(エイダン・オブライエン厩舎)で凱旋門賞に騎乗することが決定したのである。
このジャパンは、もともと海外大手馬主のクールモアグループが所有していたが、今年2月に日本法人のキーファーズが権利の一部を購入して共同所有となった。3歳時はイギリスダービー(G1)3着の後、パリ大賞(G1)、インターナショナルステークス(G1)を連勝し、凱旋門賞で4着に好走した実績がある。
つまり来週の毎日王冠と京都大賞典週、そして再来週の秋華賞週の騎乗はできない。それだけのリスクを覚悟しての遠征だけに、本人の意気込みは相当なものだろう。しかし今年の凱旋門賞は前述のラブやエネイブルを筆頭に、かなりの強豪が出走する。もはやどんな結末となるかは想像できないが、ここは武豊マジックに期待したいところだ。
さて今年のディアドラで、日本馬の凱旋門賞挑戦は27頭目となる。1969年に初めてスピードシンボリが遠征して以来、51年に渡って26頭が挑戦してきた。しかし、いまだこの凱旋門賞を勝利した馬はいない。2着はオルフェーヴルが2回、そしてエルコンドルパサーとナカヤマフェスタで合計4回あるが、あのディープインパクトですらも勝てなかったレース。最初の挑戦から50年を経た今であっても、日本馬にとって高き壁なのである。
いよいよ週末に迫った凱旋門賞をチェックするにあたり、まずは過去に挑戦した26頭の成績を振り返ってみよう。
日本馬最初の挑戦は1969年のスピードシンボリだ。天皇賞(春)を制した翌年、6歳での海外遠征。世界はベトナム戦争の真っ最中で、まだ海外遠征の右も左もわからない時代であったが、同馬はアメリカ、イギリス、フランスなどに遠征した。結果は着外となっているが、当時は11着以下の公式記録を残していなかったので、正確な着順は不明となっている。
その後1972年にメジロムサシが18着、1986年にシリウスシンボリが14着と大敗が続いたが、1999年に13年ぶりの遠征となった蛯名正義騎乗のエルコンドルパサーが、モンジューの2着に好走。この2着が日本競馬関係者に火をつけたのか、その後コンスタントに遠征が続いていくことになる。
日本競馬の至宝、日本最強馬など様々な異名を持ち、当日も多くの支持を集め、日本から多くの競馬ファンが偉業をこの目で見ようとフランスへ集まった。しかし結果は3着入線と勝利できず、しかもレース後に薬物が判明して失格となっている(呼吸器系治療薬使用の規定違反)。
2008年には武豊騎手がディープインパクトの雪辱を期し、メイショウサムソンで参戦するも10着。しかし2010年には蛯名正義騎乗のナカヤマフェスタが低評価を覆してワークフォースの2着に好走、その一方で武豊騎手騎乗のヴィクトワールピサは7着という結果だった。翌2011年にはヒルノダムールが10着、前年2着のナカヤマフェスタは11着に大敗した。
2012年にはディープインパクトに続く三冠馬オルフェーヴルが出走。直線抜け出し勝ったと誰もが感じた瞬間、ゴール前で内に寄れ、その隙を突いたソレミアが勝利し、悲願の初優勝を逃してしまった。2013年は昨年の雪辱を期すオルフェーヴルが出走するも、またもトレヴの2着に敗退。そして武豊騎手騎乗のキズナも4着に敗退している。
2016年はディープインパクトの金子オーナーが所有するマカヒキが、父ディープインパクトの雪辱を期して鞍上クリストフ・ルメール騎手で出走したが、まさかの14着に敗退。さらに2017年はサトノダイヤモンドが15着、サトノノブレスが16着と大敗。2018年はG1未勝利ながらクリンチャーが出走するも17着に敗退している。
凱旋門賞に挑戦した日本馬全26頭の結果を振り返ったが、ご覧の通り2着が4回あるものの、2桁着順は26回中16回と70%近い数字となっている。日本でもトップレベルの馬が参戦してこの結果は、ヨーロッパ遠征の困難さを示しているといえる。この成績を見る限り、日本の競馬関係者にとって凱旋門賞は、エベレストよりも高い山なのである。
しかしそれでも彼らはその頂を目指し挑戦し続ける。そして誰が日本初の凱旋門賞優勝関係者となるのか、その栄誉をかけて今後もし烈な争いが見られそうだ。